現金給付嫌いの訳

 18歳以下現金給付、年内に支給開始 政府・与党調整: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQO 「現金給付は世帯主の口座に振り込まれて使途が自由になるため、子育て関連のサービスや用品に確実に使われるようにクーポンやバウチャー方式を併用することも検討する。」

 このように現金給付を嫌うのは何故か?一つの理由は、自由を与えることに抵抗があるからだろう。現金は受け取ったものに自由を与える。いつ使ってもいいし、使わなくてもいい。何に使うのも自由だ。

 公からの給付を受けた人間が自由を得るのがいやで、自主性を認めたくない、言い換えれば、給付を受けた人間をコントロールしたい人にとっては、現物給付がいい。現物給付なら使うことを強制でき、使い道も強制できる。

 この背景には、最もいい使い道は受け取った人間ではなく、国が知っているという理解かもしれない。一種のパターナリズムだ。しかし、この前提は成立するのだろうか?両親がお金のことで口論しなくなるだけでも、こどもの精神状態は良くなる。家族みんなで楽しく外食してもいいではないか?子供に最適の支出を国が決められると思わない方がいい。

 クーポンやバウチャーにするというのも同じ発想だろう。使い道を制限したいのだ。もっとも、クーポンやバウチャーにしたところで、それを現金に換えたり、これまで現金で支払っていたものに充てて現金を節約したりできる。お上に政策があれば下々には対策がある。

 このような対策が明らかになると、また、対策への対抗策を考えなければならなくなる。効果の薄い仕組みを導入して事務を複雑にしない方がいい。

 自由な意思を持つ人間をコントロールできる、コントロールすればいい世の中になるという発想は捨てた方がいい。